ゲームデザインに関して思うこと その2

再び、デザインに関して思う部分が色々と湧きましたので、
筆をとることにしました。

前回は、それっぽい形をただ作り上げるゲームの作り方の問題点をメインに話しましたが、
今回は、マニアが作るゲームの問題点の話になります。
[ゲームにおける説明の重み]

例えば、あるRPGでは、
ステータスも自分で割り振りできる。
魔法の取得も自分で選べる。
そういった仕様だとします。

そういった仕様のゲームでは、ステータスの割り振りを自分でできるのですから、
当然、特化したステータスやバランス型のステータス、
そういったのを自分で決めることができます。

ところが、そういった仕様であるがゆえに、
魔法戦士みたいなバランス型の職で、
ステータスが効果量に差が出るような回復魔法や攻撃魔法を取得しても、
効果量が低い上に、ステータスも低いからMPも少ない。

じゃあ、ちょっと回復のサポートに、と思っても、
回復量が本職とは全然違うので、回復しきるのに使わないといけない回数も多く、
MPも少ないから、ちょっと回復しているだけですぐにMPがなくなってしまう。

ということは、そういった仕様のゲームでは、
ステータスが影響するものは、魔法戦士には取得させないほうがいいわけです。


例えば、ドラ○エ3の勇者と僧侶、
勇者のベホイミと僧侶のベホイミってそんなに違わないですよね。
勇者のほうが覚えるのが遅かったり、最大MPが低いから使える回数が少なかったりするだけです。

ウィザード○ィとかでもそうです。
サムライの攻撃魔法とメイジの攻撃魔法、そんなに差は出ません。

でも、そのゲームでは、知力とかで魔法の効果に差が出てしまう仕様。
それだったら、勇者がベホイミかルーラ、どちらかを取れるという場合、
ルーラを取った方が効率がいいと言えます。
ルーラは、知力とかで差が出る性質のものではないですから。

ですが、プレイヤーからすれば、いきなりそういったことがわかるわけではない。
魔法戦士という言葉から、MPや習得速度は遅いけど、
効果がそこまで違うということをイメージしない人もいます。


なのに、そういったドラ○エやウィザード○ィを真似た作品を作っておきながら、
仕様は上で説明したような割り振りタイプだったらどうでしょう。
職業も、ドラ○エを真似て、勇者とか僧侶とかあったら、
勇者にもベホイミを取らせてしまいがちですよね。

でも、その仕様では、ステータスも割り振っていないといけないから、
知力とかにステータスを振ると、当然、攻撃力やHPに割り振る分が下がり、
前衛としても弱くなってしまう。

そういった場合、
「そうじゃないんですよ」というのは強く説明いけない部分と言えます。
それこそ、ゲーム内で最初にアドバイスしておかないといけないことと言えるでしょう。

それどころか、ゲーム中の手本とかでは逆に、
そういった部分を推奨してしまったり、
逆に魔法の専門職に殴りまでさせようとか別のことをしてしまったりとか。
その上、マニュアルでは、やっぱり専門職は、
特化のステータス振りしようとか、
言ってることがめちゃくちゃだと、プレイヤーからすれば、
何が正しいのか全くわからなくなってしまいます。


そして、その上、その割り振りに失敗したら、
挽回の手段が無く、キャラクター作り直し、育て直し、という仕様だったらどうでしょう?
もう、ふざけんなよ。
とプレイヤーは、なってきます。


例えば、電子レンジの使い方を教えるときに、
「茶碗蒸しとかでも数分で出来ます」とか書いてあるだけだと、
爆発させてしまいますよね。
(ラップをしなさいとか、ラップをしても空気が逃げるところが無いとダメとか、
一切書かずに)

そういった使わせ方をしてしまうと、
電子レンジは茶碗蒸しを爆発させる機械
ということになり、
その人たちにとっては、電子レンジは酷い道具、
という認識になってしまうのです。

どれだけ作りこんだところで、使わせ方を間違えれば、
物の価値は無へ帰してしまう、
説明というのは、その危険性と隣りあわせなのです。


[説明が下手な人は、デザインも崩れている可能性が高い]

では、説明を整理してみると、浮き彫りになっきたデザイン。
そのデザインのほうを考えてみましょう。

先ほどのステータスと取得魔法の効果量に反映関係があるもの、
という例で考えてみますと、
ステータスの割り振りが自由、取得魔法の選択も自由と
自由同士が組み合わさって、自由自在に育成を楽しめるゲームかというと
そういう風にはなりません。


それは先ほども言ったように、勇者タイプで回復魔法なんか覚えても効率が悪いという点です。
仕様から言って、勇者で回復魔法と移動魔法、どちらを取りますかというと、
回復魔法を取るだけ馬鹿馬鹿しいですから、
勇者を回復魔法型、移動魔法型、どちらに育てますかという選択肢が両立しませんよね。
移動魔法型しか実質、選択肢ないじゃん、となってしまっている。

それだったら、習得を選択式にするのではなく、固定方式にしたほうが
踏み外しがなくていいじゃないかとなるわけです。


何でそうなってしまっているかと言ったら、
自由を与えて、それぞれのアプローチに耐えうるように作ることを主眼に作っていたのではなく、
自由の中で、特定の組み合わせ方をして、その組み合わせがその中で強力であること、
そこにうっとりして、ニヤニヤするためのゲームを作ろうとして作っているからです。

自由という物を、
それぞれの人が色々と組み立てていくもの、その材料として与えようとするのではなく、
自分が考える、高尚くささ、理知的なキャラ育成、
それを組み立てるための手段として考えていないからです。


そして、自分が作ったゲームがそういう風になっているのに、
さも自由度が豊かなゲームを作りました、と打ち出して
実際にゲームをやらせたら、ギチギチの正解を選びきらない人間は
すべてを馬鹿を見るだけのゲームになっている。

確かに、選択肢自体は多い。
でも、ハズレの選択肢が多くだけ、それは地雷がそれだけ多いのであって、
正解以外、意味が無いのなら、無駄に悪い選択をしてしまってゲームを楽しめない人が増えてしまう。
その作品に悪い印象を持つ可能性を増やしていっている自滅につながっているわけです。


そして、ここから説明の狂いへとつながってきます。
自分は自由度の高い作品を作ったと思っている。
自分は作った作品は凄い作品だと思っている。

ところが、実際にやらせてみると、構造的なずれから不満が返ってきた。
そうなったときに、「あ、自分がそういう構造のものだったんだ」
とは、ならずに、自分は凄い作品を作ったというプライドの擁護が優先された場合。

そういった方向に作者が進んでしまうと、自分が作ったものが何だったのかを受け止めるよりも、
「プレイヤーのほうが悪い」という自己弁護に進んでいったり、
自分が作ったものを悪く言われるのが許せないと、
その不満の解消のために「こうすればいいんですよ」と答えを教えたりするけど、
その答えを教えることがさらに「それって、結局、それを選べない人間は全員アウトじゃないか」
とか、問題点をさらに浮き彫りにして炎上していったりする。

プレイヤーにどういったゲームとして成り立っているかを第一に考えているのではなく、
形から入った作り方をして、それを凄いものと信じて、そこに勝手にプライドまで持ってしまっているから、
事実が跳ね返ってきたときに、そのプライド、心のほうが優先されると、
どんどん説明が中身ではなく、自分の心の擁護を最優先になった組み立て方になって、
歯切れが悪くなっていく。


ちゃんとしたものを作っていて、プレイヤーがわざとに変なことをやっているとかなら、
仕組みを説明して、「それはわざとにおかしなことをあなたがやっているだけじゃないですか?」
の一言で片付くだけのことですから。

もちろん、そのためには仕組みがしっかりしたものを作っていて、
それを説明して、プレイヤーにも仕組みを理解させている、という土壌が成り立っていないといけませんが。
(例外として、河津ゲーみたいな、その人がやりたいプレイをやっていけばいいゲーム、
というデザインのものもありますが、
あれは「自分でやり方は組み立てていきなさいよ」という、考えて好き勝手にやっていくゲーム、
ガチガチの一つの正解を選ぶだけのゲームではありません。
これだけは例外として、「自分(プレイヤー)でやりたいことをやっていけ」と説明度外視なことがあったりしますが、
でも、やっぱりアン○ガみたいに、説明でコケている作品を作ってしまったりしていますよね)


[説明が上手い人と下手な人の違い]

では、説明が上手い作者と下手な作者、何が違うのでしょうか?

実は、説明が下手な作者というのは、ある傾向があります。
それは自身がマニアックで負けず嫌いなタイプの作者です。

なぜかというと、負けず嫌いな人は、
手順がギチギチなものを作ってしまい、
複雑な手順で構成された正解以外がすべて間違いになり、
結局、滞りなく物事を進めるには正解を教えざるを得なくなり、
それはイコール、答えを教えてしまうから、ズルをさせてあげるだけになる。
となると、それはズルさせているだけじゃないか、となって教えるのをためらうようになる。

それどころか、負けず嫌いだから、
相手のほう(下手なこと、わからないこと)が悪いということにして、自己正当化を図り、
自分は何も間違っていない、悪いのは相手だということで片付けようとしてしまったりもする。

他人を弾き飛ばしてしまう、対抗意識をもって、
他人からツッコミを入れられないように勝とうとする、
そういう人ほど、部分、部分をギチギチに作ってしまい、
他人からのツッコミを排除したわがままな作品になっていきます。


逆から見たほうがわかりやすいですかね。
ギチギチに、部分、部分を作ったものが先にあり、それへのツッコミを弾き飛ばしてしまうから、
その部分ごとだけで完結してしまい、
つながりが生まれず、その部分、部分に合わせて、その都度完璧を求めるだけの作品になる。

RPGで言えば、その箇所を攻略するために、プレイヤー側も完璧な布陣(パーティー・装備)を要求し、
また次の箇所では、その箇所を攻略するために完璧な布陣を要求する、
そこをクリアするためにその都度、完璧な布陣を構築するための作業が要求されるだけで、
プレイヤー側がそれぞれのアプローチでどう切り崩していくかの自由とかが全然無い
わがままな作品になっていきます。


でも、それは、外から見ると、
正解がそれしかない、ギチギチなゲームをデザインしているだけにしか過ぎないんです。
数あるデザインの中で、自分がやっているのは、そういうデザインに過ぎない、
自分が作っているゲームがそういうゲームだ、というのは置き去りになっているだけなんです。

そして、そのことを自分で見つめることができない。

なぜそこを見つめることができないかというと、
そこを指摘するものに対してすら、
負けず嫌いの性格で口げんか、思想のケンカをして、はじきとばしてしまうからです。
突っぱねるということですね。

日ごろから会話にしろ、ゲームにしろ、マウントを取りたがる人。
そういった人がゲーム製作に回ると、
作るゲーム自体、簡単にクリアされたら悔しいと、ギチギチの解法じゃないとクリアできないゲームにしてしまう。

これも相手のツッコミ、作品をプレイしたときのプレイヤーの声を想定して、
ねじふせてやろうという、会話、コミュニケーションの延長上と言えます。

さらにプレイヤーに対してどう説明していくのかということに関しても、
マウントを取りたがる気質から、「お前がわからないほうが悪い」と考えてしまう。
そして、文句がつくと自分の説明の仕方が悪かったという感覚よりも、
「どいつもこいつも下手で、そいつらが一斉に文句をつけてきた」
という感覚のほうを持ってしまう。

それは、そもそもプレイヤーのときに、マニアックなところまで追求して、
上手くプレイできるようになった自分を、他人より優れていると思ってしまっていて、
これもまた、他者を下手だと思って指差して、マウントを取る、エリート意識を形成していて、
それがそのまま作る側になったときも反映されて、
その人のためのゲームではなく、クリアできない人間をあざ笑うためのゲームになってしまっています。


デザインというのは、
[どういうデザインをしているのかは作者のほう]
[どういうデザインかと受け取るのは受け手のほう]
という関係ですから、
作者が自分と向かい合わないという事は、
良い質のゲームを作る、そのどれだけいいものにするか、とかを考えているのではなく、
作品を通して、価値観的なものを押し付けたいとか、そっちのほうが主目的になりかわってしまっている、
と言えるわけです。

ゲームを作るための技術を必死に学んでも、
「何のために」の部分が欠けていると、それは方向性が狂ったものが出来上がります。

ピストルの使い方をただ事務的に必死に勉強して覚えても、
そのピストルを使って愚かなことををやらかすなら、それはやっぱり愚かなんです。

どれだけ技術を勉強しようとその部分が欠けているとダメだということなんです。
それを自覚できないままだと、ただの努力の方向音痴で終わっていってしまうのです。


ですから、
「ゲームに詳しいオタクがゲームを作れば、最強のゲームができるんじゃないの?」
と安直に想像しても、現実がその通りになっていない
のは、そういった部分なのです。

それどころか、本質と向かい合えないまま振り回すことが続くと、
「オタクが作るゲームは面白くない」
世間に認知させていってしまう要因にすらなっていくわけです。

頭の中にただ単に情報を記憶として詰め込みまくって、
それを振り回せるようになれば、頭が良いというわけではないのです。


よく、ややこしいことや難解であることを高尚だと考えてしまいがちですが、
実はそういったものは、理解の視点を置き去りにして読み取りにくくなっているだけで、
中身のレベルが高いとは限りません。

そもそもややこしくさえすれば偉い、高尚と考えている時点で頭が悪いです。
他人にわからないようにめちゃくちゃにすれば偉いと思ってしまっているのですから。


本当に頭がいい人というのは、仕組みがわかっていますから、
相手のやっていることが間違っている場合、
仕組みと照らし合わせておかしい箇所を指摘できますから、
仕組みに沿って相手の間違っているところを、相手自身に理解させることができます。

対して、何とかして、相手を、頭が悪いということに追い込んでやることで、
自分が頭が良いかのように流れを持っていこうとする人は、
仕組みを理解しているのではなく、なんとかしてそういう追い込んでやろうと、
材料を拾って、でたらめに組み立てていっているだけです。

それは仕組みを理解した上での比較ではありませんので、
中身のある話にならない。

そして、逆に相手が仕組みを考えきる人間の場合、
自分のやっていることがそういうことだとばれてしまうから、
恥から逃げ出そうとしたり、プライドを傷つけられて逆上したりということを繰り返しやすい。

それはずっと、自分から逃げているだけなんです。


こういったことからもわかるように、
他人に説明するという事は、自分を何をやったのかと向かい合わされることでもあります。

他人に説明するとなると、
「私が作ったゲームって、こうなんです」
と相手に理解させるわけですから、
当然、変なものを作ったなら
「あなたはそんなゲームを作ったのですか?」
と、相手から返ってくるからです。

ですから、そこから逃げて自分本位のものを塗り固めただけの作品というのは、
自分が何をやったのかと向かい合うことから逃げるということにもなるのですから、
その道具(作品・媒体)はどういう道具になっているのか、という確認から逃げているともなり、
道具としても、相手に適したデザインになっておらず、
独りよがりに、形付けたいだけのものになっているということです。

自分でちゃんと説明して、心地よくプレイさせられるような作品を作れないうちは、
自分で整合性を考えながら物を作ることはできてない
わけです。
(プレイヤーが考えて自由に組み立てていくタイプのゲーム、
そういったものにしても、自分が作っているゲームがそういうゲームだと理解する知性、
それがあるのと無いのでは、全然違いますよね)


負けず嫌いの人の厄介なところは、
自分が勝ってさえいればいいという想いが強いので、
常に相手が間違っていて、常に自分が正しいという
会話の流ればかり作ろうと考えてしまい。
「今日、このやりとりが自分の勝ちにならないことがムカツク」
と、そればかりで、相手の知性の質を見ようとしないままなんです。

それどころか、そうやって破られる現実が嫌だ。
と、現実と向かい合わず、自分の主張だけで凝り固まっていたりもします。


ゲームにしても、それぞれ手に取った人が思うこと、
やろうとすることは違うわけです。
そういった人たちに、その行為が何なのか、どういった意味を持つのか
それを説明していかないといけません。

世の中には、色々な人がいます。
時には、その人の考えていることのほうが、
しっかりしていることとかもあります。
それが現実です。

現実というのは、自分が一本取られることだってあるんです。
そのときに重要なのは、自分がやっていたことの質が何なのか、
相手のやっていることの質は何なのか、ちゃんと中身を考え、照らし合わせて、
やり方のレベルを上げていくことです。

[わからない奴が悪い]として、自分を振り回すだけなのは、
自分をちゃんと土俵の上にあげて、
相手に納得する形で筋を通すことができないということになるのですから、
説明をきっちりできないような作り方をしたゲームというのは、
どれだけマニアックなものの粋がギュウギュウに篭っていても、
やはり、いびつな作品と言えるでしょう。

そういったのは、料理を作って食べるということに例えると
「頑張って作ったから美味しいと言って」というゲームにしか過ぎません。

それは「自分たちが頑張って作った以上、美味しいと言え」ということ押し付けているだけで、
相手にとってどうなのかとかが置き去りになっているゲームです。




[やりこみに関しての話]

マニアックな要素ということでの話ですから、
ついでに、やりこみということに関しても話をさせてもらいます。

やり込みというのは、誰かから言われてやるとか、
何かそうしないといけない目的や課題があるあら、そこまでやるとか
そういったものではありません。


[孤独○グルメ]という漫画にあるセリフですが、
「モノを食べるときはね 誰にも邪魔されず自由で なんというか救われてなきゃあ ダメなんだ」
という言葉のように、
やり込みというのも、誰にも邪魔されず自由で救われていないといけないものなんです。

「ほら、やりこみ用のボスですよ。」
とか
「ほら、このボスはやりこまないと勝てないボスですよ。」
とかいうのは
実はプレイヤーは
「ほら、マニアども、人参ぶら下げてやったぞ」
ということを最初から感じているんです。



勘違いしている作者が多いのですが、
レールをつくらないとやり込まないわけでもなければ、
レールを作ってやりこむ用に仕向けたから、
やりこませた=時間を自分のゲームに束縛した=自分はのめりこませるゲームを作った
とかではありません。

それはただ、クリアするまでが大変なゲームなだけです。
言うなれば、[友人マ○オ]状態なんです。

そして、もう一つ勘違いしているのは、クリアするまでが大変なゲーム
イコール、寿命の長いゲームではない
のです。


なぜかといいますと、大変なゲームというのは、
クリアしてしまえばそこまでで、それ以上 やる気が湧かないからです。

友人マ○オみたいなコースとかも、
クリアするまでに完璧に手順覚えて実行していくのに時間や労力が必要ですが、
クリアしたら「ああ、終わった、終わった」で二度としたくないし、
繰り返しプレイなんかやりたいとも思わない。

それと同じなんです。
大変なゲームというのは、クリアするまでに時間がかかるけど、
クリアした時点で「もう、いいや」となって、それ以上プレイしなくなる
のです。


本当に繰り返されて遊ばれるゲームは、
自分でハードルを上げていけるゲーム
なんです。

マ○オにしても、
悪いコースというのは、一つしか解法が無くて、それを満たすタイミングもシビアで、
ミスったらそこでやり直しというステージは、それこそ友人マ○オ的なコースは、
ストレスがたまって、すぐに飽きられる。

対して
良いコースというのは、解法のパターンが複数あり、どちらでも選べるコースなんです。
上側にまっすぐな橋があって、下側には、穴が飛び飛びであるけど、そこに1UPがある。
ただ、次のステージを目指すだけなら、上の橋を通ればいい。

そして、最初にとりあえず次に進みたいという人は、上の橋を選ぶでしょう。
じゃあ、下のルートを選ぶ人というのはどういった人かというと、
一度、上のルートでクリアしてみて、物足りない人が下のルートにも行って、
「俺は下のルートで進めるんだぜ」とやるわけです。

何回もプレイされるゲームというのは、そこなんです。

下のコースを強制したらいけないんです。
下のコースというのは、やれる人がやり始める場所なだけなんです。
(だから、上コースだけだとすぐにクリアされて終わりだから、
上コースだけでもダメだし、かといって下コースを強制するだけでもダメなんです)

http://haihat.blog.fc2.com/blog-entry-4259.html


ところが、今回の記事でテーマになっている、
負けず嫌いで、説明が下手なタイプの作者が作るゲームというのは、
友人マ○オの方向性のものを作ることが多いです。

マ○オで言えば、クッパにファイアボールが通じない、
足場は飛び飛び、こちらもチビ状態とかではアウトで、特定の形態で突入して、
特定の手順を遣り通せて、ようやく勝てる。
という感じです。

そして、タチが悪いことに、負けず嫌いだから、
自分たちを正当化しようとして、
自分たちのゲームの方向性がそういったものなのに、
それを棚上げにして、
「楽しむようにプレイしない奴が悪い」
と責任転嫁したりしてきます。

こうすると、火に油を注ぐだけで、逆効果です。


重要なのは、その作品がどういったデザインの物なのか、そこなんです。

必死にやろうと、まったりやろうと、ゲーム自体が友人マ○オ的だったら、
そのコンテンツの方向性がそうなっているでしょ。
という話になるのです。

スーパーマ○オブラザーズ 2

スーパーマ○オブラザーズ 3

どちらが難しいですか?
2のほうですよね。

でも、名作として認識されているのはどちらですか
3のほうですよね。

そして、2のほうは、世間ではどういう印象を持たれていますか?

2のようなマニアックな方向のものを作っておきながら、
なのに、3的に楽しんでくれというのはおかしい話です。

3的に評価を受けたいのなら、3のような作り方をすべきなんです。
そこをすり替えるのは横着です。

3のような評価を受けていないというのなら、
3のような作り方を出来ていない自分たちを省みるべきです。


で、こういった人たちが、何を見ようとしていないのか、
本人たちが自己正当化の元に排除してしまっているものは何かといいますと、
自分たちが作ったものが、どれだけ無駄が生じているのかという部分なんです。

例えば、最初のほうで話した、
キャラクターメイクをしてキャラを育てていくRPGとかの場合、
ギチギチの難易度だと
それに適したキャラを育てきらなかった人は、新たに育て直しになってしまいます。

その育て方を失敗したキャラは、役立たずということになり、
ただ邪魔になるだけです。
この徒労、[無駄]の部分こそ、本当は向かい合わないといけない箇所なのです。

なぜかというと、プレイヤーは思い思いに、自分なりに正解への道筋を考えてやったのですから、
その部分こそ、その人のそのゲームの捉え方そのものなのです。
その部分こそ、その人にとってのそのゲームの本性なのです。
その部分をぞんざいに扱って、慕われるゲームになどなりません。


では、無駄をなくしていくにはどうするか?
その無駄にちゃんと意味を持たせればいいのです。

育て方を失敗して探索メンバーとして使いにくいのなら、
引退させることに何かを持たせたりする。

例えば、引退者がコーチになって、
コーチ付きで作成したら、補正がかかったキャラが作成されるとか。

それとか、引退者をどこかの部署に担当させることによって、
何かアイテムなどの開発進むとか。
それこそ、各職業ごとに引退させたことによって、
その職業の新しいアイテムが開発されるとか。
ウィザード○ィみたいに種族まであるゲームなら、
種族ごとにとかでもいいでしょう。

他にも、そういった区分分けではなく、
引退者のその後の就職先で、
探索ガイドに就職とかいうのなら、探索を便利にアイテムが商店に並ぶとか
鉱山に就職とかなら、石系のアイテムが商店に並ぶとか、
鍛冶屋に就職したら、武器や防具が商店に並ぶとか、
そういったのだって、あっていい。

むしろ、キャラを作り変えていくゲームなら
そこに極まっていけばいいのです。
無駄をなくすこと=無駄を生み出さないこととは限らず、
無駄にも意味を付加していくという解決方法だってあります。




もしくは、そういった救済的な措置は与えない代わりに、逃げ道を用意するとか。
それこそ、筆者も別サイトで攻略していますが、
巣作りドラゴンというゲームが、そこらへん逃げ道が用意されているゲームです。

進行度として、現段階の戦力では勝てないようだったら、
周回に逃げて、引き継いで戦力を充実させていいですよ。
そして、エンディングも複数あるから、それに勝てるか勝てないかだけではなく、
色々なエンディングを目指しながらでいいですよ。
というデザインになっています。

※引継ぎにしても、大変なものをクリアした後じゃないと引き継げないのなら、
引継ぎの意味ってほとんど無いですからね。
引継ぎがあるもので、どのタイミングで引継ぎで逃がさせてあげるか、って
結構重要なのです。


ところが、こういった人たちは、そういった部分を細かく作ることは二の次です。
そこの部分を作ると、プレイヤーが有利になって、
楽にクリアする人が出てくるからです。
これを許そうとしない。
「絶対にここを突破するには、これだけ苦戦しなければいけない。」
という激戦くささが成り立たなくなることが許せないから。
このボスとは、ボクシングで言う最終ラウンドまで もつれてから、
最後にアッパーカットでKOしないといけませんとか、

そういったのを強制しようとしてくる。

でも、そこを縛り付けるから、無駄(出来なかった人たちの徒労)を生み出してしまう。

やりこみを根本的に勘違いしているんですよ。
繰り返し言いますけど、やり込みというのは、やりたい人間がやればいいんです。
激戦をしたければ、勝手に縛らせればいいだけのことです。

したい人間は、勝手に強すぎる手札を邪道だと思って縛るだけです。
そこを作者が線を引こうとすると、おかしくなるのです。

ましてや、ストーリーボスとかで、ギチギチにしたら
それこそ、進行のために無駄(プレイヤー側の徒労)が生じまくってしまいます。



やりこまれた名作とかを振り返っても、
ストーリー上、ギチギチのボス戦を要求するゲームって少ないと思いますよ。

ファイ○ルファン○ジー5とかにしても、
別にラスボス自体が酷かったわけでもないですし、
オメガや神竜も挑みたければ挑めばいいよ、というボスでしたし、
強制的に倒さなければいけないボスだったわけではありません。

それこそ、ウィザード○ィ1作目なんて、
ラスボスも大したこと無い上に、その後に何らコンテンツが控えているわけでもないのに、
みんなムラマサやしゅりけんを集めたりしたわけです。

結局、やり込みというのは、そのゲームに[はまった]副産物にしか過ぎず、
やり込まれるゲームを作りたければ、やりこみを強制するゲームを作るのではなく、
[はまってもらえるゲーム]を作るべき
なのです。

やりこまないといけない=やりこませるようなゲームを作った
ではないのです。

やりこませるようなゲームを作りたい、というのは、
自分のゲームをやりこませることによって、
自分のゲームは他人がやりこむようなゲームだった、という風に持ち込みたい、自己承認欲求なだけで、
プレイヤーが実際に何を楽しんでやっているのか、なんて二の次です。

[やりこませる]とか考えるのではなく[はまってくれるかどうか]を見るべきです。
そこを勘違いしている作者が多いですね。
ハードルというのは作者が強制するのではなく、その人が勝手にどんどん上げていくもの。
ここを履き違えると作者とプレイヤーのケンカが起きやすくなります。


デザインの記事 その1では、
それっぽいものをただつまみぐいして、「はい、ゲームです。」
というのは、どういうデザインをしているのかを自分で考えておらず、
受け手から見れば、数あるデザインの中で
「そうしておけば、それっぽく見えるでしょ、というデザインをしているだけ。」
色々なデザインの中で、あなたのデザインはそういったデザインにしか過ぎないだけなんだよ。
という話をしました。

この記事ではその逆で、
マニアな人間が自分本位のガチガチのものを作ったものに関してなのですが、
これも実は同じなのです。
数あるデザインの中でそういったデザインをしているだけなのです。

プレイヤーは難しいものを、クリアするまでどこまでもやらされる奴隷ではありません。
酷いものを押し付けられて、黒を白とまで言って
心に嘘ついて、楽しいと口にしなければいけない義務なんてありません。


作者がどう思っていようと、プレイヤーからすれば、
(原作も含めて)好きなものは好き、嫌いなものは嫌いなだけなんです。
「何か面白そうなものはないかな」とか、
「うんうん、あれいいよね」という共感とか、それだけですよ。
プレイヤーはプレイヤーで、それをいいかどうか捉えているだけです。
それに納得できるものに出会えば、プレイヤーのほうが動いていくだけの話です。

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